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精神疾患に理解のある国になるには

 身体障害者、この言葉を聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
痴呆、この言葉はどうでしょうか?

 おそらく、現在の多くの方が、身体障碍者と言えば、頑張っておられる人、また、手を貸したい人。そして、痴呆は差別用語だから認知症とした方がいいだろう。認知症は辛いから、介護さんに任せよう。そう思うのではないでしょうか?

 精神疾患。この言葉には、いまだに多くのが甘えや、せいぜい、頑張れと言ってはいけない程度の知識ではないでしょうか?

 私は、今でこそ精神障害を認め、障害者と言われてもなんとも思いません。知ってか知らずか、幸いにも、学生のころから、ボランティアや福祉に携わってきました。私が学生のころ、まだまだ身体障碍者に対する偏見をどうするか試行錯誤しているときでした。介護に関しても、痴呆は恥ずかしくて、近所に隠しているという人すら多くいました。現場もこの20年で大きく変わりました。利用者主体の介護を目指し始めます。介護保険の施行により、格段にサービスが良くなりました。
今では、介護士さんの待遇は変わらず、サービスはホテル並みを求められる、それも問題に感じますが、、、

 さて、私が言いたいのは、おおくの差別が日本にはあり、それらの認識がこの20年で変わった事実があるということです。

 精神疾患に関しても、少しずつ認識され始めてきました。まるで、20年前の再来に私には見えます。当時、はやっていた言葉があります『ノーマライゼーションの大切さ』ノーマライゼーションとは障害があっても普通の人であると認識して、環境を整え普通に生活していける社会を目指す言葉です。精神障害に関しても、普通に生活できる環境の整備が急務となります。

 そして、過去それを発信し続けたのは、一部の理解者と、当事者たちの行動でした。それに続き国が動き始め、今の環境になっています。

 精神疾患の理解の為にまず、やるべきこととしたら、鬱はならなければ理解できない病気であることを理解すること。また、当事者意識を持ってもらうためにも、誰でもかかる病気だということを伝えること。

 そして、鬱の苦労をして、理解できる人が輪を作り、そして、支えていくこと。その姿が、周りの意識を変え理解へと変わっていくと思います。

 いつの日か、精神疾患が普通であり、支え合える日は必ず来ると確信しています。

 

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