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希死念慮の誤解と絶対に負けてはいけない理由

自分
本当に死にそうだったんです
上司
はいはい、わかったから::

当時会社との話し合いの際の会話である。自分としては、しっかり事実を伝えなければという気持ちがあったが、明らかな迷惑顔が忘れられない。いや、それも理解は十分にできる。

やはり、なったものにしか分からないことは世の中ほとんどである。理解しなくていいことは多い。

が、この問題に関しては伝えておかなければならない。生死にかかわるからである。

死亡率の観点から言えば3疾病とすでに並んでいる。しかも、多くが自殺となる。

私自身、重度の鬱状態と診断されることは何度かあるが、希死念慮の症状は今回が初めてだ。

『死にたい』という意味では、幾度となく?世間一般に?と言っていいだろうくらいは吐いている。何かにつまずいたり、大きなショックにあったときに。

それには、死にたいくらい辛いという、言葉が付いてくる。

『~したい』人が思うには大きく2種類に分けていい

一つは意志としての行動。遊びたい。趣味をしたい。世界一になりたい。仕事に行きたくないから風邪ひきたい。とか。

もう一つは、欲求としてのしたい。タバコが吸いたい。トイレに行きたい。食べたい。

それは意志とは別物である。そのつらさわかるであろう。禁煙や、ダイエット。睡魔と闘う受験生。どれも自分との闘いは辛い。希死念慮は『こちら側欲求の~したい』である

一般的に死にたいと言っていても相手にしない、もしくはいちいち心配してはいられない。しかし、病気としての死にたいは、死にたい気持ちと闘っている。助けてほしい。なのである。

勿論、辛い状況がありその状況になっていることが多く、つまりは意志としての死にたいも混ざることもある。だからこそ、自分でも訳が分からなくなってしまう。

詳しくは書かないが、その症状は深刻だった。そうしている姿が常に頭に浮かぶ。そして、それにつられるかのようにそのイメージを実行しようとする。私の心の奥底には確かにいる『そんなことするな!しねなくて、重体にでもなり迷惑かけるだけだ』という冷静な自分が、、

恐いのは、突発的な時である。妻にも伝えた。その時は、止められなくてもしょうがないと。自分自身が分からないのだからと。

最終的な結論を言えば、家庭で希死念慮と闘うことはかなり危険だと思うし、その状態の期間はできる限り、しかるべき医療機関に頼ることを勧める。『何をしでかすか分からない家族がいることは、本人以上に家族が辛い』と私は自分に言い聞かせている。

私の場合は本当にその気持ちがなくなったのは約3か月。その後もうつ症状は続き、かなりの厳しい環境もあったが死にたいと欲求が襲うことはなかった。

ずーとその症状が続くという方もいるが、それに関しては私は、ただの介護士。精神科の医師でもないので明言は避ける。

もし家族や本人がこれを見てその意味をしっかりとらえることで、少しでも支えになることを期待して書いているブログなので、それ以外の感情があれば、このブログを閉じてもらいたい。

しかし、共感し、今苦しんでいる人、力になりたいと思いこのブログを見た人がいるならば伝えたい。

これ以上の苦しみはないと言っていい程の状況である。その先など考えないでもいい。必死に耐え、もがいている状況はあなたがまともで強さを持っているからである。間違いなく。

その欲求には負けるな!辛くても、苦しくても。

一つできることがあるのなら、ゆっくり呼吸することだ。ゆっくり吐き、ゆっくり吸う。そして少し息を留める。その繰り返し。その位しか今はできないかもしれない。

生きる。活きる。絶対に!

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