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甘やかしと配慮の違い

元の職場での復職してから一年

結局、休むこともなく、そして、早い段階から再発しかけることも辛い経験も多いながら楽しんで仕事をしてきた

仕事を楽しめたのは職場の一部の人間は除いた人たちのおかげであろう。この一年だけでも様々な出会いと別れ。そして多くの経験をしてこれた。

多くの職員は職場に戻りうつ病オープンにした私に戸惑う雰囲気もあったが、元気に働く私を見て今では逆に鬱なんてなってないんじゃないか?位言われるまでになっている。自分でもそういわれてもおかしくない位体が動いているのでその言葉自体気にしない。逆にここまで回復できた喜びの方が数倍強いのだ

今回のテーマ『甘やかしと配慮の違い』

これについて考えるには一つの法則を見つけたからだ。私はもともと性分や介護士ということもあり、人をサポートすることは明らかに多い。特に役職であることからそれは、必然でもある。

今の職場でも復職した時『鬱は精神の病気。甘え』そういう人たちは数名いた。
上記のように今は私は言われないが、サポート・配慮が必要な人に手を貸すと、そういう人たちは決まって言う『キートンはあいつを甘やかしている』と。

私自身もその基準に十分に気を付けているし、配慮されている人間も私自身厳しいことも言うので疎ましさも感じているだろうと思っている。しかし、周りはそれすら見ないことが多い

結局鬱は甘えという人は、自分が動きたくないまたは、少しでも特別扱いされていることへの妬みの心が人より強いようだ

介護では、甘えと配慮その判断は大きな悩みであり判断するためにカンファレンスで相談しながら慎重に議論して行動する。職場でも、必要かどうかそれはシビアに判断している。

実際必要のない人にまで手を貸すようなお人よしでもない

配慮が必要かどうかは、当人との話し合いがとても重要である。その人間の症状を知らないことには配慮などできない(それこそコミュニケーションだと強く言いたい)

多くの甘えで済ます人は、当人とコミュニケーションをとらない。最初からできない人と決めつけ、話したくもないという。皆さんもお分かりのように、本当に大人なのか?と正直思う。が、多くの職場を渡ってきた私は、どんな職場にもそういう人は多少はいる。唯一いなかったのは、社訓として厳しく配慮を促しているようなホワイト職場だけだった。

結果、配慮があれば働ける人も配慮が受けれず退職することになり、今でも我が組織のほとんどが人手不足に陥っている。当然の結果だということが、やっと最近話題に上るようになってきた。

(数年遅れている)そうは思うものの、変わりつつある職場であることに希望に色も見えている。

先ほども述べたように『甘やかしと配慮の違い』は判断がデリケートである。

しかしとても重要な違いであることを、会社側は、また、配慮する側の立場の人は忘れてはいけない

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